睡蓮(すいれん)や蓮(はす)は、

 

なぜか見ていると、心地が良い。

 

 

これは、大原美術館の脇にひっそりと在る睡蓮の池。

 

 

岡山市足守にある、安土桃山時代に水攻めがあった「備中高松城址」は、

23歳時に初めて訪れて以来、今でもたびたび訪れる好きな場所。

 

ここにも蓮池がある。

 

 

むかし独立して間もない頃、生活のために、大手ハウスメーカーの依頼を請けて半年間仕事をしていたが、

あまりに仕事が虚しく、よく昼休みには現場を抜け出し、昼寝をしていた場所。

 

 

はたまた違う現場では、昼休みに抜け出しては本屋に行って現実逃避をしていた。

本を読んでいるその時間だけは、違う憧れの世界に行けれたから。

「自分にもっと力がついたら、いつかロマンを追える仕事をしよう」といつも思っていた。

 

 

昼寝をしていた足守の備中高松城址では、

四方の山から清水宗治を睨んでいた豊臣軍(織田軍)の身になったり、その逆になったり。

 

「こんな素敵な場所に、好きな木造建築が建ったらどんなに良いだろう」と妄想したり。

 

 

だからある意味、23歳の独立時に、生活をするために引き受けたこの半年間の大手ハウスメーカーの仕事の経験は、本当に良かったと思っている。

 

 

私の独り言だと思って聞いてほしいのだけれど、

「これはもの造りではない」と心から思ったし、

「会社は全国的に大きいけれど、こんなことをしていては駄目になる」と直感で思ったからです。

安定を選ぶ人もいるが、私はそうではなかった。

 

 

「もの造りの道を選らんだ以上、本物を作りたい。

偽物は嫌だ」と理屈抜きで思った。

それが良い悪いではなく、私の純粋な直感だったのです。

 

 

上手に言えないけれど、

私を救ってくれた足守の備中高松城址のあの大らかで優しい雰囲気であったり、

蓮池を眺めて癒された気持ちであったり、

そんなことが感じられる「ぬくもりのある木造建築」を作っていきたいと切に思う。

 

 

安藤洋介