何度見ても、やはり大きい。
現存するものは建て替えられたものだが、ほぼ同じものを、およそ1300年前に建てたというのだから驚愕である。
ある宮大工が言っていたが、
当時、読み書きがままならない大工らもいて、墨付け時の番付けは、動物の絵を書いていたらしい。ただ20年そこそこでこれだけのものを、大陸からの技術者を数人だけ呼んで、後は日本の大工だけでやりあげたのだから、相当レベルの高い、棟梁格の大工連中が集まったのではないか、と。
余談だが、神の使いとされる鹿の顔を改めてよく見てみると、とても穏やかであると気付く。
by 安藤洋介