私は、普通科の高校を卒業してすぐに、住宅設計の学校に通いながら大工に弟子入りしました。
あれから建築の道を走って21年が経ちますが、じつは、「木」のことを「本当の意味」で理解し好きになったのは、
ほんの数年前のことなんですね。
もちろん「木」のことは何となく好きでここまでやってきたのだけれど、
嫌いになった事はなかったものの、否定した事はありました。
「完成したときは綺麗なのに、すぐに黒くなって木同士は離れるし、外部の木なんてボロボロになるじゃないか」
「木を使って家を建てるなんて、大工の一人よがりではないか」
とさえ思った時期がありました。
どこかの教授らが書いた、木造住宅を否定するような専門書を読み漁ったり…。
だから、時々お客様が「木はすぐに汚くなるからね」と木のことを否定的に言われるその気持ちも解るんですよね。
たとえば、手斧(ちょうな)という

割と現代では使いこなす人がいなくなった伝統技術を習得するまで、そこまで木や建築にこだわって練磨してきた人間が思うことではないですよね。
でもね、数年前、ある「木の住宅」を本で見掛けたんですね。
その時は本当に衝撃的でした。
「簡素で素朴なのに、凛としていて…
伝統木造住宅のあの重苦しさはなく、でも日本的で、軽やかで…。」
そのお家を設計された方が、建てられたであろう10数年前の別の木のお家を、(県外ですが)執念で探しだし(笑)、見に行きました。
「美しい木の家」が10数年後どうなっているのか、どうしても直接見て判断したかったんですね。
そこには「木がボロボロ」なんていう表現は到底当てはまらない「凛とした木の家」が建っていました。
人は簡単に「経年美化」と言うけれど、目の前にある黒ずんだ木の色の家が、
本当に「神々しくて…」
まさに「普遍的な美しさ」がそこにはありました。
私は、それ以前にも法隆寺や薬師寺など沢山の「神社仏閣」に行ってはパワーをもらってきましたが、
「木造住宅」で希望を抱いたことはありませんでした。
でも、この住宅に出合って私は変わったように思います。
今後も、私を信じてくれている大切な方々のお家は、
「完成時には、うちらしく清潔で美しい、すっきりとした仕上がりで、それでいて10年後、20年後、30年後も住まい手が何かを感じ取っていただけるような、そんな木のお家を造りたい」
そう思っています。
by 安藤洋介